2021年1月3日に映画・天気の子の再放送が行われました。
ノーカット版での放送だったので、ラストシーンも映画と全く同じ内容でしたね。
最後のシーンで帆高は「大丈夫」と言い放つわけですが、東京が沈没したのに何が大丈夫なのか、少し疑問の余地が残ります。
この映画が放送された当時もラストシーンについてはかなり賛否の分かれる評価を受けていました。
そこで、今回は
・天気の子のラストのセリフ「大丈夫」までのあらすじ
・天気の子のラストのセリフ「大丈夫」の意味
・天気の子のラストの感想が賛否分かれる理由
について紹介していきたいと思います。
天気の子のラストのセリフ「大丈夫」までのあらすじ
まずは、天気の子のラストシーンをおさらいします。
陽菜の生贄によって、東京の天気が助かるかもしれないというシーンで、主人公の帆高と須賀が言い争います。
須賀の主張はこうです。
・誰か一人が犠牲になって世界が救われるのであればそれは尊い犠牲。
・どんな世界でも損な役回りをする人間はいるのだから受け入れるべき。
一方、帆高の意見はこうです。
・好きになった陽菜を助けることが最優先。
・そのためであれば天気は狂ったままで良い。
完全に真っ向から対立しています。
結局、帆高は自分の意見を曲げることなく陽菜が生贄になることを阻止します。
その結果、東京は3年間雨がやまずに水没してしまうものの陽菜の命を救う事ができます。
自分のせいで東京が水没して、多くの犠牲を出したことに落ち込む陽菜に帆高が行った一言が
大丈夫
でした。
天気の子のラストのセリフ「大丈夫」の意味
先程のあらすじを額縁通りに捉えるのであれば、帆高は私欲のために世界を破滅に導く狂った存在であることは間違いありません。
状況だけ見たら大丈夫な要素なんてほとんどありませんし、この先どうにかなる問題でもないと思います。
ただ、そんな根拠のない状態でも帆高にとっては
「好きな人と一緒ならどうにでもなる」
という根拠のない自信があったのだと思います。
そうでなければあのような選択はできません。
その意思表示として「大丈夫」と語ったのではないか?と思います。
実際、これは自分たちの身の回りでも遠からず起こっていることではあります。
世界の平和よりも自分の生活を優先したくなる現状なんていくらでもあると思います。
新型コロナウイルス感染症が流行した2020年はまさにそのような選択を突きつけられていました。
このとき、帆高は自分の生活をとり、その意思表示が「大丈夫」というセリフにかかっています。
実際、新海誠監督は天気の子を問題提起をするために作ったと語っています。
『君の名は。』の次ですから、興行的にも超メジャーなものになります。であれば、多くの人々の価値観が対立するような映画を作りたい。
僕たちが作るのはエンターテインメント映画なのだから、極端な言い方をすれば、正しくない内容を語ろう、いわゆる賛否の分かれるものを作りたいと思ったのです。
引用: https://style.nikkei.com/article/DGXMZO46648000X20C19A6000000/
帆高が突きつけられた愛する人と世界との選択はまさに、新海誠監督の狙ったとおりになっているのではないのかな?と思います。
天気の子のラストの感想が賛否分かれる理由
天気の子のラストの感想が賛否分かれる理由は、帆高の視点に立つか須賀の視点に立つかで話が変わってきます。
SNSでも両方の意見が見受けられます。
天気の子、何度観ても理想のEND(陽菜はいなくなったっきり帰ってこなくて、穂高は銃刀法違反で捕まってしまう)にならないので悲しい
— きりしき (@kirisikisiki) January 3, 2021
「天気の子」をみた時の私の感想は「みんなの願いは一度に叶わない」ということ。誰かの願いが叶うとき、他の誰かが泣いている…まさに宇多田ヒカルの世界。ラスト、アレで多分被害も犠牲も相当大きいと思われるけど、そこには触れないのな。パンダコパンダならそれでいいんだろうけど…。
— 源氏星 (@genjibosi) January 3, 2021
このご時世に天気の子のラストはすごいよね……示唆に富んでる
— ゆきつぐ (@yukitugu_sanae) January 3, 2021
天気の子はスッキリするようなラストじゃないから人によってはもやもやするかもしれない。
— めそ (@kzg_ozi_meso) January 3, 2021
ラストが俺にしたら中々胸糞だった映画だったな確か。
自分たちの感情のみで、東京を浸水させるのはどうかと思った。しかも何年もずっとよ?賛否分かれるだろうけど。
あれでヒロインが呪縛から救われて、めでたしめでたしとは到底思えなかった。#天気の子— shingo (@1ytqgF7fXEKi2jL) January 3, 2021
社会を円滑に回すためであればある程度の犠牲を飲むべき、を良しとするのであれば今回のラストは主人公が暴走したバッドエンドに見えます。
一方で、好きな人のためにはどんな犠牲でも受け入れる、という考えであれば今回のラストはハッピーエンドです。
筆者が同じ立場であれば、おそらく世界を取っていたと思います。
リスクはやり直しがきく状況下だからこそ取れるわけで、そもそも東京が滅んでしまったらどうしようもないと思うからです。
とはいえ、帆高と同じ年齢の時にこの選択ができたかどうかはわかりません。
そういった、正解のない問題を映画で提示した時点で新海誠監督の思惑にハマっているのかもしれません。
まとめ
今回は天気の子のラストシーンについて紹介しました。
大丈夫、という一言にここまで意味が詰まっているこの映画は本当にすごいな、と思いました。
そして帆高の下した決断は、新型コロナウイルス感染症が流行している2021年とまさにリンクしているなと思いました。
みなさんならどちらの選択をしますか?