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【画像】田村正和は若い頃は売れてなかった?現在までの経歴を紹介!

独特のしゃべり口と演技力から絶大な人気を誇る俳優の田村正和さん。

若い頃からダンディーでかっこよく、引退まで人気が衰えることがありませんでした。

そんな田村さんについて深堀していきます。



渋すぎる俳優田村正和!年齢や嫁などWikiプロフィール

生年月日 1943年8月1日
没年月日 2021年4月3日(77歳没)
出生地  日本・東京都世田谷区
死没地 日本・東京都港区
身長 172cm
職業 俳優

田村正和さんは1943年生まれで、2021年4月に77歳で亡くなられた俳優です。

ご結婚はされていたようで、お相手は自身の通っていた成城大学の先輩だった矢島和枝さんであることが分かっています。

40年以上前のことだったようで、写真で時代を感じますね。

娘さんもいらっしゃるようで、お名前は早樹子さんというようです。

田村正和さんは新和事務所という個人事務所を設立しているのですが、そこの役員を務めているようです。

プライベートと仕事をきっちり分ける性格だったようですね。

そんな田村さんですが、役者人生は下積み時期が長かったようです。



【画像】田村正和の若い頃は売れてなかった?

プライベートは順風満帆だった田村正和さんですが、俳優人生は下積み時期が長かったようなので、紹介していきます。

兄の撮影現場の付き添いが芸能界デビューのきっかけ

田村正和さんは、もともと俳優志望ではなかったようです。

実は、田村さんのお兄さんである田村高廣さんが正和さんを芸能界へ引き込みます。

そのきっかけとなった作品が1960年に放送された旗本愚連隊という作品です。

この作品では、高廣さんが主演を務めていたのですが、見学していた田村正和さんも周りのスタッフに勧められ勧められて端役で出演しています。

これがきっかけで田村さんはデビューします。

脇役ばかりで売れなかった下積み時代

田村さんは芸能界に入ってから、出演は途切れなかったものの、大きなヒットにはムぐまれませんでした。

1963年には「花の生涯」という作品で大河ドラマに出演。

そこから5年間大河ドラマに抜擢されるも大きな役はもらえませんでした。

意外かもしれませんが、当時は地味で暗い風貌であったことや、声があまり通らないことなどからあまり人気は出なかったそうです。

しかし、1972年に転機が訪れます。

田村正和さんは、1972年から1973年にかけて放送されたテレビドラマ『眠狂四郎』で、主役の眠狂四郎役を演じ大ブレイクしました。

田村さんの雰囲気と、侍のイメージがぴったり合って世代を問わずに人気者になったのだとか。

中でも、円月殺法という決め技は、子供から大人までみんなが真似していたようです。

ここから、田村さんの第二の俳優人生が始まります。

1980年代はホームドラマで三枚目役のブレイク

今までは渋い役どころが多かった田村さん。

1980年代からはホームドラマなどの明るい役柄で人気を獲得します。

そのきっかけとなったのが「パパはニュースキャスター」という作品です。

この作品は酒を飲むと記憶が飛ぶ、独身主義のニュースキャスター・鏡竜太郎の元に、12年前に酒の席で口説いた3人の女との間に出来た娘が現れ、いきなり3人の父親になるというコメディドラマです。

これまでは時代劇で活躍してきた田村さんが少し間の抜けた男性役をやるというギャップがハマり、かなりの人気が出ました。

このドラマを機に、人気俳優としての地位を盤石なものにしていきます。

人気俳優としてドラマ・CMで大活躍

1990年代以降は出演作品がどれも人気を獲得するという売れっ子俳優状態でした。

1994年に放送された「古畑任三郎」では10年以上にわたって演じる当たり役となりました。

ちなみに、古畑任三郎役で、ザテレビジョン主催のテレビアカデミー賞第1回主演男優賞を受賞したようようですが、まさかの辞退をしていたそうです。

ドラマだけでなく、CMにも出演していた田村さん。

麦とホップというビールのCMは平成生まれなら誰もが一度は見たCMだと思います。