ミャンマーのミン・アウン・フラインという人が注目を集めています。
彼は軍部のとても偉い人のようですが、日本人からしてみればあまり馴染みがない人ではないでしょうか?
そこで今回はミャンマー軍の指揮官であるミン・アウン・フラインについてまとめていきます。
ミン・アウン・フラインの華麗なる経歴
ミン・アウン・フラインさんは建設省技師を父に持つサラブレッドだったようです。
建設省とは日本で言うところの国土交通省に当たるポストのようです。
つまり、高級官僚の息子ということでエスカレーター人生を一直線に走ることができた人間だったのです。
大学はヤンゴン芸術工科大学法学部に入学にしています。
法学部ということで、父親と同じ出世コースに行くと誰もが思っていました。
しかし、1974年に軍人のみちに路線変更し、士官学校に入学します。
お役所のエリートがいきなり軍人希望ということで、当時はかなりいじめにあっていたようです。
ただ、卒業後の活躍はめざましく、2007年にはミャンマー反政府デモの鎮圧。
その結果、2011年には軍部の最高指揮官に任命し、現在も軍部のトップとして活躍しています。
ミン・アウン・フラインは何をした?
ミン・アウン・フラインさんが日本で注目されたきっかけとなる事件は2021年2月1日に発生したクーデターでしょう。
国連大学前。ミャンマー人が軍のクーデターに抗議しています。 pic.twitter.com/IzSlZ4w3lS
— 有田芳生 (@aritayoshifu) February 1, 2021
当時、ミャンマーはアウン・サン・スー・チーさんが治めていましたが、これに軍部が反旗を翻し、ミャンマー国軍が政権を奪取したのです。
ここまでだと、いきなりすぎる展開ですが話は2020年のときからその兆しは見られました。
2020年に行なわれたミャンマーでの総選挙ではスーチー氏率いる国民民主連盟という政党が圧勝しました。
議席の9割以上を獲得したということで、非常に支持された政党でした。
しかし、軍部の人間は「選挙に不正があった」と主張し、激しく対立することになります。
実際に選挙に不正があったかどうかはわかりませんが、非常に揉めていたことは事実だったようです。
そんな中、2021年2月1日。
スーチー政権が発足するタイミングで軍部がクーデターを起こし、今回の事件が引き起こされました。
この軍部を率いていた人物こそミン・アウン・フラインさんです。
今回のクーデターは彼の年齢も関係していると考えられています。
国を統治するとしているミン・アウン・フライン司令官については「この10年、軍の最高権力者として確固たる地位を築いてきた。みずから軍の最高司令官の退役年齢を65歳に延長していたが、ことしの7月には退役しなければならなかったというタイミングも重要なポイントかもしれない」
引用: https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210202/k10012844851000.html
年齢的にもラストチャンスということで大勝負に出たということでしょうか?
拘束直前に国民民主連盟の報道官は以下のようにコメントしていました。
NLDのミョーニュン報道官は取材に対し、「自分もまもなく拘束されるので、その準備をしている」と述べた。地元ジャーナリストによると、現地ではラジオやテレビが視聴できなくなり、「通信上の問題で放送できない」と説明されているという。
引用: https://mainichi.jp/articles/20210201/k00/00m/030/042000c
現地の混乱もさることながら、日本企業の進出も多いミャンマー。
一刻も早い収束が待たれるばかりです。