オリンピック開催に向けて橋本聖子五輪相の発言に注目が集まっていますね。
新型コロナウイルスがここまで蔓延している現状なので賛否両論が出ていると思います。
今回は、橋本聖子五輪相の若い頃について調べていきます。
橋本聖子五輪相の若い頃
橋本さんは1964年の東京オリンピックの直前に生まれたそうです。
名前の由来も聖火にちなんで聖子とつけたようです。
まさに五輪相にふさわしい生まれなのかもしれません。
3歳の時からスケートを始めたようで、中学の時には全国制覇を達成しています。
ここから10年間スケートの全日本選手権を連覇したという最強の経歴の持ち主なんです。
ただ、この頃に体調を崩されて一時は持ち直したものの、引退を決意したようです。
高校卒業後は富士急行に入社。
10年間勤め上げた上で、1995年から議員の道を歩まれたようです。
スポーツ選手から議員という絵に書いたような成功人生だなと感じましたが、底に至るまでの道のりはかなりハードだったんじゃないかと思います。
橋本聖子の太ももが大きすぎる
橋本聖子さんはスピードスケートの選手だったので、太ももの鍛え方が半端ないんです。
画像を見ればわかりますが、一目瞭然です。
さすがメダリストなだけあって相当すごいですね!
実は、橋本聖子さんはスピードスケートだけでなく、競輪の選手としても活躍していました。
競輪の練習量は1日に200キロを超える距離を走ると言われているので必然的にたくましくなるのだとか!
実際、橋本聖子さんは1996年のアトランタオリンピックに競輪で出場しているので非常に優秀な選手だったんです。
人一倍頑張る橋本聖子さんの努力の結晶が太もものサイズに現れています。
橋本聖子の国会議員での活躍
橋本聖子さんは国会議員になってからも活躍の場を広げてきました。
彼女は、1998年に石崎勝彦さんという警察官SPと結婚しています。
石崎さんは再婚で、3人のお子さんがいらっしゃいました。
そのため、橋本さんは国会議員の仕事だけでなく育児にも力を入れることになります。
しかも、橋本さんは2000年に自身の子供を授かりました。
1人だけでなく3人の子供を授かったため、8人家族という大家族になりました。
当時、国会議員で育児に携わっていた方は非常に少ない状況でした。
そのため、橋本さんは産休制度の確立に力を入れてきました。
その結果、国会の欠席理由として産休が公的に認められるようになったのです!
追記:橋本聖子五輪相がオリンピック代表委員会会長に任命
橋本聖子五輪相がオリンピック代表委員会会長に任命されました。
その後継者として、丸川珠代議員が五輪相を引き継ぎました。