2021年1月9日にヨルシカの春泥棒のMVが公開されました。
PVの公開から100万再生を超え、Youtubeの急上昇でも1位を記録しています。
今回の春泥棒は、タイトルに有るように春がテーマとなっているのですが、ここに登場する桜の比喩が秀逸と話題になっています。
この桜は実在しないようですが、ある場所がモデルになっていると言われています。
しかも、MVの内容を見ると、その場所でなければいけない理由があったのです!
今回は
・【ヨルシカ/春泥棒】ロケ地はどこ?
・【ヨルシカ/春泥棒】ロケ地と桜とリンクしているのかMVから考察
・【ヨルシカ/春泥棒】桜についてSNSのでの反応
について書いていきます。
【ヨルシカ/春泥棒】ロケ地はどこ?
今回の作詞を担当したn-bunaさんはツイッターで以下のようにコメントしています。
春の日に昭和記念公園の原に一本立つ欅を眺めながら、あの欅が桜だったらいいのにと考えていた。あれを桜に見立てて曲を書こう。どうせならその桜も何かに見立てた方がいい。月並みだが命にしよう。花が寿命なら風は時間だろう。 それはつまり春風のことで、桜を散らしていくから春泥棒である
引用: https://twitter.com/nbuna_staff/status/1347878777817206789
どうやら、桜は昭和記念公園の欅の木のようです。
モデルとなった木はこちらの木です。
このコメントから、桜=命、風=泥棒の比喩として使われていることもわかります。
このような喩えは平安時代の和歌から使われている非常に一般的なものです。
しかし、それであればわざわざ昭和記念公園の欅を桜に喩える必要性がありません。
n-bunaさんは原っぱの中に一本そびえ立つ欅を桜ないしは命と見立てて作曲を行いました。
このように、なにもないところからずっしりそびえ立つ欅を選んだ理由はなんなのでしょうか?
【ヨルシカ/春泥棒】桜の意味をMVや歌詞から考察
このPVを確認すると、今回の桜の登場シーンは列車の終着点として描かれています。
この列車は何を意味するのかが重要になってきますね。
歌詞にもわざわざ高架線という場所を指定しているため、MVの演出以上の価値があると推察できます。
このシーンは、MVの視点となっている女の人の死が近いことを表しています。
今回の桜は命の比喩になっており、それが散っている姿から連想することが可能です。
ということはこの桜は散ることであの世に向かおうとしているわけで、そこに向かう列車の比喩として登場しています。
あの世とこの世を列車でつなぐ、という表現は比較的よく行われるものであり、水木しげる原作のアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」でも幽霊列車として登場しています。
このことから、この列車はあの世とこの世の間を走っているわけですね。
そうすると、原っぱはあの世、桜はこの世の命の比喩となっていると考えられます。
原っぱに落ちる=あの世に行く直前まで桜=命が一個堂々と舞い散る様子に人間の一生の儚さと美しさを表現したのではないか?と考えられます。
これが、桜並木の中の1本では、「人生は一度きり」という部分を表現できないので、価値を失ってしまいます。
昭和記念公園の欅をモデルにしなければいけない理由があったんですね。
【ヨルシカ/春泥棒】桜についてSNSのでの反応
ヨルシカの春泥棒が良すぎて。満開の桜をみたい猛烈に。まだ冬やけど。恋人もおらんけど。大成建設うまいことしたな。#ヨルシカ #春泥棒
— おさき (@tocomocokitty) January 10, 2021
海の中であり、空の色であり星空でもあり、桜舞う春の陽だまりの中でもあって、あのロケーションを最大限に活かして世界観を表現されたな……と圧巻のライブでした……本当に春泥棒の演出神だったな……しかもそのあと親の声より聴いたIntroで直後に即死したし……
— 無 (@aishiteru2jigen) January 10, 2021
去年の花見はコロナで出来ひんくて、今年こそはとか思ってたけどまた緊急事態宣言でて…
まだ春は来てないけど今年一番の桜を見た気分
春泥棒、すごく感動しました😭#ヨルシカ #春泥棒 pic.twitter.com/4RkZTwo7Yl
— ヌオー ( ・―・ ) (@nuooo__) January 10, 2021
春泥棒、桜=花を命に例えているなら、最後のほう
あと花二つだけ→もう花一つだけ
って歌詞が続くのは奥さんが死んじゃって盗作家だけが残されたってこと言ってるのかな— 127🍋 (@yorushikashika) January 10, 2021