2021年東京オリンピックの卓球で金メダル第一候補として注目されている張本智和選手。
卓球の腕前もさることながら、かっこいいルックスのため人気の高い選手です。
一方で、張本選手をよく思わない人もそれなりに多いようです。
調べてみると試合中のテンションなどいろいろなポイントが有るようだったのでまとめてみました。
張本智和がムカつく3つの理由
1.チョレイの叫びにびっくりする
張本選手の特徴としてスマッシュを決めたあとなどに「チョレイ!!!」と叫ぶことです。
この「チョレイ!!」という言葉には特に意味はないようです。
しかし、大声を出すことは試合中自分を元気づける意味合いがあるようです。
張本に限らず、卓球選手の掛け声は、自らを鼓舞するためのものだ。
ボールが小さく軽く、指先の繊細な動きまで使う卓球競技は、わずかな気持ちの揺れがミスにつながる。
湧き上がる敗戦の恐怖、油断の誘惑を振り切るため、ゲームの間中、必死に内面と戦っている。
その方法として、得点をしたときにできるだけ大きな声を出すことが幼い頃から奨励され、習慣になっているのだ(だから抑制することは極めて難しい)。
引用: https://news.yahoo.co.jp/byline/itojota/20210210-00221958/
しかし、この大声が観客からしたら少し怖く感じるようです。
卓球の張本がポイントを入れるたびにチョレイと大声で叫ぶのを見ていると気分が悪くなりチャンネルを変えるのは私だけだろうか?
対戦相手を全くリスペクトしてない様に見えるのだが。。。
年齢や実力に関係無く人として魅力がなければ終わってると思います!#卓球#張本智和
— mr x (@mrxyzxyzxyzxyz) January 21, 2018
張本、チョレイとか大声出すけどスポーツ選手としてちょっとどうなんだ?って思うわ笑
知らんけど— 鈍器【手錠プロ】【元祖逃げプロ】 (@dnkdnkdonki777) January 15, 2021
個人的にはあの大声の
チョレイは好かんけど
張本くん本当にすごいよ#全日本卓球選手権— shk-ssss (@co1111o) January 21, 2018
これもあってか、2019年には試合中に「チョレイ」と叫ぶのが禁止になってしまいました。
ルールとして禁止になる以上、嫌だった人は多かったのかもしれません。
2.チョレイを罵声と思っている
チョレイを罵声と勘違いしている人から張本選手が叩かれている人もいるようです。
チョレイは悪口だよ😡😡
— おちワン【まリる村長】 (@ochiangomi) December 16, 2017
トレンドの「チョレイ」を、「なんでトレンドに悪口あがってんだ…」と思う福井県民です(;´・ω・)
(チョレイ(チョレエ)は福井弁で罵倒を意味する…)— 🌸宮崎そら🌧️ (@Sora_Miyazaki_) June 3, 2019
「チョレイ」という言葉が対戦相手を煽りの意味を含んでいるように感じて張本選手を嫌いに思う人もいるようです。
しかし、チョレイには全くそのような意味合いがないことを大手サイトでは報道しています。
2014年世界選手権ではドイツのオフチャロフが「ヨー」「ショレイ」とともに「ヨーレイ」を使っていることが確認できる。「ヨー」との混合形の誕生だ。
この前後から日本のジュニア男子の間で同系列の掛け声が目立ち始める。
当然張本もその影響を受け「ショー」「ショレイ」「ヨー」「ヨーレイ」を併用する現在に至る。
引用: https://news.yahoo.co.jp/byline/itojota/20210210-00221958/
この記事によると、2014年の「ヨ-レイ」という掛け声が巡り巡ってチョレイになったようですね。
「チョロい」と語感が近いから勘違いを生んでいたようです。
3.中国人というだけで叩かれる
張本選手の国籍を気にする人もいるようです。
今朝例の記事に気づき、他の方に注意喚起するも、とんでもない勢いで張本選手への誹謗中傷が増えているのを見ると、「ああ、試合見てない人がいるんだなあ」と思います。
こういった方達は張本選手を中国人とみなしていて、差別発言をしている事が多々あります。
(続く)
— F.T.T [ Funny Table Tennis ] (@FTT_takkyu) March 11, 2018
張本を中国人だ帰化選手だ言ってる人達へ pic.twitter.com/Q2UrP6xVtP
— 卓球垢の方のそらゆき (@sorayuki_tt) June 3, 2017
張本選手の両親はどちらも中国の方のようですが、日本で張本選手を出産し、日本で子育てをしていたようです。
そのため、バックグラウンドはほぼ日本人なのですが、一部の人は日本人以外が日の丸を背負って戦うことに違和感があるようです。
多様性の現代においてかなり暴論ですが、このように思う人も0ではないようです。